女流棋士スーパーサロンの様子
仕事の都合で、中々将棋に時間が取れずにいました。
2014年12月8日、やっと休みが取れたので半年ぶりに将棋会館へ行きました。
NHKの取材があるようです。
二階の道場入口に女流棋士スーパーサロンの案内看板が出ていました。
わたしは10時の回に予約を入れました。
担当は女流棋士になってまだ二ヶ月余りの塚田恵梨花女流2級です。
先客1名が駒を並べ始めていました。
席について駒を並べます。
「女流2級デビューおめでとうございます。女流3級のプレッシャーを経験しないで済んで良かったですね」
「そうですね、ありがとうございます」
「指導対局の様子をブログに書いています。恵梨花先生も写真とこれから指す棋譜をブログで紹介してもよろしいですか」
「はい、どうぞ」
女流2級デビューのお祝いを述べてから、ブログ掲載の許可を頂きました。
母から将棋のルールを教わったが、あまり真剣ではなかった。
小学校4年で出場した大会で、同学年(1998年度生まれ)で後に女流棋士となる竹俣紅に負けたことが契機で、将棋に真剣に取り組むようになった。
2014年4月13日、6連勝で研修会C1に昇級し、女流3級の資格を得る。
同年8月9日の第8期マイナビ女子オープンの一斉予選にはアマとして出場。
前期の本戦入りの実績により、チャレンジマッチを免除されて一斉予選にシードされた。
8月9日に行われた一斉予選の1回戦では、前期と同じく中村桃子に勝ち、決勝では中倉宏美に勝利し、2年連続での本戦入りを決めた。
同年9月に女流棋士への資格申請書を提出。
本来は女流3級(女流棋士仮会員)としてスタートするところ、女流3級から女流2級への昇級規定『女流1級に相当する成績(マイナビ女子オープンで本戦入り)』をこの時点で満たしていたため、10月1日付で女流2級(正式な女流棋士)となることが決定した。
将棋界において、棋士または女流棋士で、両親がともに将棋のプロ棋士であるのは、塚田恵梨花が唯一の事例。
ー引用ー
「"塚田恵梨花"」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
"最終更新 2021年6月2日 (水) 03:29 " UTC
わたしが駒を並べていると小学生と思われる3人目の対局者が席に突きました。
更に1名参加して、10時の回は四面指しとなりました。
塚田恵梨花女流2級戦
初手△3四歩を指す恵梨花先生。
恵梨花先生との初対局となります。
感想戦
玉頭戦に持ち込もうと34手目で▲2六飛と浮きました。
恵梨花先生は飛車を目標とすべく△3五歩と突きましたが、そこから飛車を切って角を飛び出す構想が良く、下手大優勢となりました。
47手目の△6五銀に対しては飛車が逃げると思っていたのでしょう。
56手目の▲7四歩が疑問手で紛れるところでした。
上手からの△5六香が厳しいと読んで▲5六香と先着していたら完勝譜となっていたかもしれません。
しかし、読めてはいませんでしたが、苦し紛れで攻め合いに出た▲6四香が偶然にも詰めろになっていました。
恵梨花先生はバラしてから△8九龍と桂馬を入手しましたが、65手目の局面はまだ詰めろではありませんでした。
対して上手玉には17手詰めが生じていました。
読み切れてはいませんでしたが詰みがありそうだったので詰ましに行きました。
守りを剥がした71手目の局面では銀か香を打てば詰みでしたが、▲5四歩から入ってしまった為に詰まなくなってしまいました。
しかし、恵梨花先生もここで応手を間違えました。
△5二玉と真っ直ぐ引かれていたら逆転するところでした。
△5二玉はいかにも危険そうでしっかり勝ちを読み切らないと指せない手ですよね。
恵梨花先生は3四から2五への逃走ルートが見えたので△4三玉と逃げたのでしょう。
83手目の△2七金の只捨ては非常手段でした。
▲2七同香と取って△1六玉に▲2八銀と打てば勝ちでした。
捨てるつもりで打った2七の金を取らなかったので、最後に下手玉の右辺の抑えになって詰みに働いてしまいました。
66手目からの17手詰めが読めて勝ち切っていたら、飛車を切って一気に攻め潰す、棋風通りの快心譜が出来上がるところでした。
残念。
恵梨花先生、ご指導ありがとうございました。
対局情報
対局日 :2014年12月8日
棋 戦 :女流棋士スーパーサロン
対局場所:東京将棋会館
飛車落ち対戦成績
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